チンピラ中年男の話
千葉沙央里
とある町に住む冴えない 中年チンピラ男のこのオレは、たまたま通りかかったバーで、今日もまた酒を飲んでいる。カウンター越しに、店員が嫌そうな顔でこっちをじっと見ている。何でかさっぱりわからん。で、定職にも就いていないオレは、こうやって毎日酒場に行っては飲んだくれ、気に入らない奴と同じように、数少ない友人と大喧嘩をする。あっ、思い出した。この店は先週、喧嘩をした所だ･･･。まぁ、妻も子もいないし、親もとっくの昔に死んじまっているから、やりたい放題ってワケさ。なんとも言いようのない不細工な顔なもんだから、シラフで話し掛けてくる女もいない。
オレはこの町の嫌われ者。誰も近づこうとはしない。女はもとより、こっちが友達だと思っている奴らさえ、オレを見るなりそっぽを向いて行っちまう。理由はわかっている。オレがこの町のクズだからさ。まぁいい、だからなんだってんだ。飲んで、殴って友達がいなくなろうが、オレはオレの好きな事をしてやる。オレには酒があれば充分だ。女はいらねぇ。女はオレからすべてを奪う。酒を買う金すらな。その点酒は、オレをヒーローにしてくれる。酒さえあれば、オレは天下無敵になれるんだ。
さて、喧嘩をはじめる前に帰るか。今度ここで喧嘩をしたら、出入禁止になるだろう。
今日のオレは、職探しを名目に外を歩いている。やたらと暑い一日だ。オレは証拠にもなく、また酒を飲むため目に付いた酒場に行くと、店の古びた木製のドアを勢い良く押し開けた。すると、目の前に長く続くカウンターが現れた。なんとその一番奥には、顔立ちはもちろんのこと、スタイルも良さげな女が一人で酒を飲んでいる姿が･･･。おっ！！いい女がいる。って、あんな女がオレみたいな奴を相手にするわけないか。オレは潔く、入口側の一番端に腰を下ろした。オレと女は、カウンター席で最も離れた場所に座っている。
とはいうものの、やっぱりオレは気になって見ていることがばれない様に、出来るだけ自然に彼女のほうに目をやった。やっぱり、目鼻立ちのはっきりしたいい女だ。こうなると、声はかけなくとも見ていたいのが、人の性ってもんよ。オレは気づかれない様に、何度もチラチラ彼女を見ていた。そうこうしていると、彼女がこっちを見だした。オレは慌てて顔ぐしそらした。しかし、気配がする。明らかにオレのことを見ている。ヤバイ、ばれたか。顔をそらしたまま、どんな言い訳をするべきかいろいろ考えながら、嫌な空気が流れ去るのを待っていると、オレを呼ぶかのようにカウンターテーブルを叩く音が聞こえた。バーテンか？なんだよ。今、忙しいのに。ややいらつきながらもそっちの方を向くと、なんと、彼女がオレの隣に座っているではないか。いつの間に？文句を言いに来たのか？まだ言い訳も思いついてないぞ。内心びびってはいたが、何食わぬ顔をしていた。
「お互い一人みたいだから、どうせなら一緒に飲みませんか？」
え！？文句を言いに来たんじゃないのか？予想外の展開に、気を良くしたオレは
「おう、いいね。」って答えてみた。
こうして、二人で飲み始めた。
彼女の名前は、マリーン。歳は二十七歳。友達を訪ねてこの町に来たのだが、その友達がすでに違う所に引っ越した後だったとか。多少がっかりはしたみたいだが、来たからにはこの地を堪能したいらしく、オレにこの町についてあれこれ聞いてきた。元気で、明るくて、良く笑う子だ。酒の力も手伝って、オレも徐々に饒舌になり、二人で趣味の話から、店に入ってくる客の服装、行動に至るまでおかしな話をたくさんした。そのうちマリーンは
「私たち、結構気が合うわね。ねぇ、今後のことが決まるまで、あなたのところに泊まらせて。楽しいわよ、きっと。それに、絶対あなたに迷惑はかけないから。」
っと、言い出した。へぇ？なんだって？オレは完全に気が動転していた。どうするべきか？でもこの機会を逃したら、こんないい女を家に泊める事なんてこの先二度とないぞ。
「じゃあ･･･少しの間だけだぞ。」
正直、大声でやったーって叫びたかった。けど、またしても何食わぬ顔をして、笑いすら堪えてみた。
あれからもう、一ヶ月か一ヶ月半ぐらい経っただろうか。マリーンはまだ、オレの所にいる。最近はこの町で職を見つけようと、昼間は外室して部屋に居ることが少なくなった。
今日もいつもと同じようにオレは昼の間、一人でのんびり過ごしている。ビール飲んで、新聞読んで、テレビ見て、またビール飲んで、昼寝して･･･。夕方ごろだろうか。オレはビールを片手にうとうとしていると、ドアが開く音が聞こえた。『今日は帰りが早いなぁ』マリーンが帰ってきたものだと思っていた。そして、おもむろに目を開けると、三人の男たちが立っている。えっ！？オレは慌てて飛び起きた。見たこともない知らない男たち。三人の内、二人がドデカイ図体をしている。よし、頭の切れは悪そうだ。オレでも勝てるだろう。しかし、その二人の真中にいる、若くて頭の切れの良さそうな中肉中背の細目の男。この細目の兄ちゃんが、三人の中で一番偉そうだ。こいつは厄介だなぁ。こうして三人を分析していると、細目の男が先に口を開いた。
「あなた、私のボスの女に手を出しましたね。」
「･･･はぁ？何のことだ？」
少し考えてみたが、奴の言っている意味がわからなかった。
「何もとぼけなくても。全てわかっていることなんです。」
奴の話し方が妙に鼻につく。
「あんたら、人様の部屋に勝手に入って来て何様だ。」
立ち上がって凄んでみた。オレは凄むと結構迫力があって、喧嘩の時にはこれで何気に相手は怯んだ。
「あなたは、私のボスの女に手を出したんです。」
おい、ちょっとぐらい怯めよ。物応じせず細目が言った。
「だから、あんたらの言っている意味がわかんねぇだよ。ちゃんと説明しやがれ。」
オレがそう言うって腰を下ろすと、細目がドデカイ男の一人に何か伝えた。そうすると、それを聞いたドデカイ男は一度表に出て、若い女を連れて戻ってきた。
「マリーン。」
オレは驚いて立ち上がると同時に、思わず彼女の名前を呼んでしまった。
「そう、彼女はマリーン。随分親しそうですね。」
ちきしょ。見下すように細目が薄笑いを浮かべている。どういうことだか突き止めるためにマリーンに向かって、
「おまえ･･･」
って言った。すると彼女は、そっほを向いてバツの悪そうな顔をした。
「彼女は、あなたにしつこく付き纏われたと言っています。」
なんで細目が喋るんだ？
「オレは付き纏ったりしてない。この部屋の彼女の物を見ればわかるだろう。」
細目は辺りを見回して、マリーンに
「これはおまえのか？_」
と聞いた。そして彼女は
「私のじゃないわ。この男が私と同棲している妄想でもして、用意したんでしょ。」
と、冷たく言い放った。オレは思っても見なかった展開に、唖然としつつ言い返した。
「なんだと。人の恩を痣で返すのか。」
彼女は鼻をつんと上に向けて
「とにかくしつこいのよ。どうにかして。」
と言い残し、部屋を出ていった。怒りの収まらないオレは
「覚えとけよ。今にボコボコにしてやるからな。」
我を忘れて叫びまくった。今までに見たことのなかった彼女のあの態度。騙された。オレは今ごろになってそのことに気がついたのだ。横で細目がまだくすくす笑っていやがる。いちいち腹の立つ野郎だぜ。
『ジャッキー、そんなに怒るなよ。おまえが悪いんだろう。』
オレの脳からちっちゃなオレがオレに話し掛けてきた。
『そうだよ。考えてみればわかるだろう。そもそもあんないい女が、おまえみたいな男を本気で相手にするわけないだろうが。』
もう一人のちっちゃいオレが言う。
『そうだ！そうだ！少し考えればわかるだろう。バカな奴め。』
もう一人のオレ。
『本当にバカだなぁ。』
もう一人のオレ。
『少しぐらい頭使えよ。』
もう一人のオレ。
『本当は、頭の片隅でわかってたんだろう。あんないい女、男を騙すに違いないって。』
ちょっと賢いもう一人のオレ。
『それでも騙されたのかよ。救えねえロクデなしだなぁ。』
ちょっと最悪なもう一人のオレ。
『バカだなぁ。』『だからおまえはダメなんだよ。』『どうしようもない奴だ。』
あちこちから、ちっちゃなオレが文句を言ってきた。四方八方からの声に頭に来たオレは、
『うるさーい！黙れ。そんなことおまえに言われなくても、自分が一番よくわかってるんだ。』
と、怒鳴った。もちろん、心の中で。すると、ちょっと最悪なオレが
『だから、わかってんなら、何で騙されてんだよ。』
と、最悪な返答をよこした。ごもっとも、言い返す言葉もない。オレは大きく息を吸い込んで、深いため息をつくとともにちっちゃなオレたちを吹き飛ばした。ふぅ。もううるさい奴らはいないぞ。
「彼女がどんなに辛い思いをしたのかわかってるんですか。」
まだうるさい奴が三匹ほどいる。
「ボスは腹を立てています。がしかし、金を払えば許してもらえるでしょう。慰謝料として、＊＊＊＊程払っていただければいいんです。どうしても払っていただけないと言うのであれば、その時は、命でもって払っていただくしかないですが･･･。」
ただでさえショックだったオレは金を払えと言われ、
『え！？金なんて、オレのこの形とこの部屋の何処を見てあるなんて思うんだ？しかも、何でオレが金を払わなきゃいけないんだ？っていうか、慰謝料が欲しいのはオレの方だよ。オレが騙されてんだから』
と、ごちゃごちゃ考えていたらいくら払えと言われたのか聞き逃してしまった。まぁいい。聞いたところで、払える額じゃないことはわかりきっている。
「さぁ、払うか死ぬかどっちにします。」
細目が迫ってきた。オレは一応、オレなりに足んない頭で考えてみた。
何処を探しても、オレに金なんてあるはずがない。払うとしたら、借りるしかない。しかし、返す宛てなどない。となると、金を借りてこいつらに払い、今なんとか生き延びたとしても一ヶ月半後には、返すことが出来なかったとして、借りた奴らに追われて終いには殺される羽目になる。何かいい方法はないか？銀行強盗も、すぐに捕まっちまうだろうなぁ。聞き分けが無いから警察に射撃されて死ぬかも。どんな手段を使っても、遅かれ早かれ、は死ぬわけだ。
オレが死んでも悲しむ奴らなんていやしないし。それどころか、町中の人たちが泣いて喜ぶかもな。酒屋は、いつも喧嘩をはじめる嫌な客が居なくなるわけだし、友人は勝手に友人扱いされ、絡まれる事もなくなる。マリーンは･･･別になんとも思わないだろう。そしたら、こいつらみんなはマフィアをヒーローのように扱うに決まっている。翌日の新聞には『マフィアが町のゴミ掃除！？チンピラ中年男死す』なんて見出しが出るかもな。そして、その夜にはパーテｲーが開かれてハッピーエンド。なんだ、それも悪くないじゃん。
オレは心を決めて言った。
「金は一銭も持ってねぇ。いいから殺せよ。」
決まった。今まで生きて来た中で、最高にかっこいいオレ。
「ほおー、これはこれは･･･見上げた度胸ですね。」
バカにするような目でオレを見てきた。本気で言っていることがわかってないようだ。
「おう、殺せよ。」
細目はオレが本気で言っていることに気づいたようで
「いいんですか？単なる脅しじゃないんですよ。」
と、凄味を利かせてきた。
「いいから、殺せって。」
細目は、オレが出した答えが勘に触ったらしい。奴の予想では、オレがびびって金を払うとでも思っていたのだろう。
「では、早速。」
細目はいらついた様子ですぐさま銃を取り出した。
「命乞いをするなら、今しかないですよ。」
男のくせに、しつこい奴だ。
「さっきから殺せって言ってんだろう。」
すると細目は本気になって銃をオレに向けた。
時が止まった。今まで味わったことのない緊迫感。奴の指が、引き金を引こうと少しづつ動いている。この瞬間、わずか数秒のはず。しかしオレの目には、全てがゆっくりとして見えた。最後、オレは唾を飲んだ。来る。
と、まさにその時
「おい、ちょっと待て。」
一人の男が、部屋に入ってきた。そのとたん細目は、あっさり銃を元に戻した。助かった。と思いきや、一目見て彼がマフィアのボスであることがわかり、青ざめた。歳は、六十から六十五ぐらいだろうか。あの貫禄、あの威圧感。彼は間違いなくボスである。ここでボスが来たって事は、簡単には死なせてもらえないって事か。
「おまえは、死ぬのが怖くないのか。」
ボスがオレに近づいて来る。
「別になんとも。」
近づいて来るなよ。びびりながらも開き直っていった。事実、こんな世の中生きてようが、死んでようが関係ない。そう思うと、なんだか気が楽になった。
「面白い。」
ボスは笑いながら続けて
「人の死は、神のみぞ知る。神がおまえの死を決めるんだ。」
そう言うと、銃を取り出してオレに渡してきた。
『オレに自殺しろって事か？』心の中でそうつぶやいた。オレにはまだ、ボスの言っている本当の意味がわからなかった。
「その銃に、銃弾は一箇所しか入っていない。あとは空だ。」
いわゆるロシアンルーレット。なるほど、オレは六分の一で死ぬわけだ。
オレは右手で銃を持ち、右のこめかみに銃を当てた。死ぬのは怖くない。ひたすら自分に言い聞かせた。死んでもかまわないと思っていても、自分で引き金を引くとなると、やっぱりそれなりに怖気づく。オレは大きく深呼吸して、軽く目をつぶり、ゆっくりと引き金を引いた。
カチッ
「･･･。」
目を開けると、目の前にボスの顔が見えた。手には汗が滲み出ている。オレは生きている。神はオレを殺さなかった。生きている実感を噛み締めていると、ボスはオレの手から銃を取り上げた。
そして、隣にいた細目に渡した。細目にもやれと言うのだ。しかし、なぜ細目がやらなければならないのか？わからない。おそらく細目自身もわかってないだろう。もちろん細目は驚いて、目が点になっていたが、すぐさま我に返って何とか言い逃れようとあたふたしたのち
「この男には六分の一の確率でやらせたのに、あなたの部下の私には五分の一の確率でやれと言うのですか。このクズよりも、死ぬ確率が高いじゃないですか。」
と言った。
「死ぬのが怖いのか。」
ズバリ、ボスが聞く。
「いえ。そういうのではなくて。その、私はあなたの部下なのに、こんな男よりも確率が高いのが、私が信頼されていないような気がして･･･。」
細目はびびっていた。さっきまでのお高く留まった、気取った態度とはまるで違う。いい気味だと、オレは笑いが止まらない思いでいた。しかし、彼の気持ちもわからないこともない。
「わかった。一度だけチャンスをやろう。」
と、またオレの所に銃がまわって来た。またかよと思いつつ、オレは左手で銃を持ち、左のこめかみに当てて、『神はオレの味方をしている』こんな変な自信から、今度は目を開けたまま何のためらいもなく引き金を引いた。
カチッ
「･･･。」
何の変化もない。ただ乾いた音がしただけ。目の前にボスの姿も見える。やっぱりオレは神に好かれたんだ。そんな喜びに浸っていると、ボスはまたオレの手から銃を取り上げ
「今度こそおまえの番だ。」
と、細目に銃を差し出した。
細目は完全に怖気づいている。銃を手に取ろうともしない。ボスは何も言わずに細目を睨み、無理やり銃を握らせた。すると、細目は今にも泣きそうで、体は硬直しているものの銃を持った手は震えていた。何だか急に、奴が可哀想に見える。会ってまだわずか数十分しかたってないにもかかわらず、オレは思いを巡らせた。奴はまだ若い。あの気取った態度も、自分の弱さを隠すためだろう。それに、細目はオレに情けを掛けてくれた。じゃなかったら、すでにさっき死んでいたに違いない。･･･恩を返すか。オレはボスに向かって言った。
「そいつはまだ若いし、有能そうだ。この経験を経て、今後もっと使える奴になるよ。みすみす死なすことない。代わりにクズのこのオレが死んでやるよ。」
そして、オレは周りをかえりみず細目から銃を奪い、次は両手で銃を持ち口の中に突っ込んで、一気に引き金を引いた。
カチッ
まだ生きている。四分の一の確率だった。オレはやっきになって、神に『死にたいんだ』と言うかのごとく、そのまま三分の一の確率で死ぬために引き金を引いた。
カチッ
まだ生きている。なぜだ？なぜオレみたいな人間がまだ生きているんだ？もう死んでもいいだろう。絶望とも言える、複雑な思いに苛まれた。悪運の強さに戸惑いを隠せなかったオレは、いつのまにか、銃を口から出していた。その隙を狙っていたボスは、強引にオレの手から銃を奪い
「俺に必要なのは、今使える奴なんだよ。」
と、細目に向かって引き金を引いた。
ものすごい音
キーン
耳鳴りがしている。
二分の一の確率。銃弾は銃口から飛び出して、一直線に細目の心臓を貫いた。
バタン
オレの部屋の床に、大量の血が流れ出した。何ってことだ。オレは驚きのあまり声も出なかった。あの時、余計なことを考えず引き金を引きつづけてさえいれば、細目は死ななかったはず･･･。
「おまえ、今日から私の片腕として働け。」
オレの考えを立ちきるかのようにボスは、冷静なまま言った。人を殺すことなんかなんとも思ってない奴らだ。オレの中から怒りにも、悲しみにも似た感情がふつふつと湧き上がってきた。自分自身も知らなかった、何とも言いようのない感情。その間も、ボスは何食わぬ様子でさっきの銃に銃弾を入れ、きちんと六箇所に入れ終えるとオレに渡してきた。
「大した奴だ。今後、私から離れるなよ。」
ボスはオレの肩に手を掛けて言った。
数多くの犯罪を犯してきた。しかし、人を殺したことはない。このままマフィアの一員になってしまうのだろうか？
オレの名はジャック・ルノーズ。チンピラ中年男から、とある国のとあるマフィアのボスの片腕となった男。神というより、死神に好かれた男。天国に行ける確率がないに等しい男。今、死ぬ確率が百パーセントの男。チンピラにはチンピラのプライドがある。マフィアの一員になるわけにはいかない。細目の仇と自らの名誉のために、オレは部屋から出て行こうとしているボスの後姿に銃口を向けた。